鳳蓮飛の朝は早い。
というのも、かつて彼女が患っていた心臓病の治療のため、朝早く起きる習慣が、完治した今も続いているからだ。
「ま、そうでのーても、ウチと同じ属性の風水師は朝早いけどな」
呟きつつ、身を起こす。
早朝であることも勿論であるが、季節が完全に冬に入っていることもあり、周囲の温度は氷点下を下回っている。
だが、風水師――――中国発祥の法則信仰系神術である風水、それに属す神術士であるレンは、常駐型の術で体温を一定に保ち続けている。
寒そうな素振りもなく、レンはパジャマ一枚の姿で布団から抜け出ると、窓を開けて深呼吸した。
「おおー。やっぱ積もったか」
一面の銀景色だ。昨日、高町家の家妖怪である流星丸が、� ��しそうに騒いでいたことを思い出す。
「えー季節になったなー」
満足そうに頷き、着替えるために箪笥に向かう。
――――レンは冬と、特に春が好きだ。
っていうか、秋が嫌いだ。
風水師である彼女は、その神術におけるルールの影響を強く受ける。彼女の修めた鳳氏風水術においては、万物万象は方位、季節、時節と、それに対応する五行、五徳の状態と調和により影響を受ける。
レンの属性は木気。だから東の方位と春の季節と朝の時節が彼女の味方だ。また、相剋相生の理において、木気を生む水気と、水気の方位の北、季節の冬、時節の夜が好きだ。
ついでに言うならば、水気の人である恭也と美由希が大好きだ。同じ木気の桃子となのは、フィアッセも、勿論。
「…………� �もって、金気の西と、秋と、夕方と、お前が嫌いや」
「んだよ朝一番から。俺だって嫌いだよ」
レンが着替えを済ませ、一階に下りたちょうどそのときに、流星丸の散歩から帰ってきた晶が嫌な顔をする。
「っていうか、レン」
「なんや。今日の当番はウチやぞ」
「いや、そうじゃなくて、散歩に出るときに掛けたはずの鍵が開いてて、美由希ちゃんのブーツがあった」
親指で背後を指す晶に、レンは瞠目して、
「美由希ちゃん!?」
リビングの方へ呼びかけると、小さく「はーい、帰ってきてるよー」と返事があった。
レンは晶と顔を見合わせて、
『美由希ちゃーん!』
「あはは。はいはい、元気してたかな、我が妹たちよー」
二人がリビングに飛び込むと、縁側から� ��れたらしい人型の流星丸に抱きつかれた、嬉しそうな美由希が両手を広げて出迎えた。二人も、間髪いれずに抱きつく。
「むぎゅう。く、苦しいです。でも離しませんです!」
美由希の腰の辺りに抱きついていたため、モロに二人に押しつぶされるが、流星丸は頑張る。化け犬の彼女は主人の片方が久しぶりに帰ってきてくれたのが嬉しくて仕方ない。
「よしよし」
どうかと髪が積層されたときに何が起こる
と、穏やかな声で、美由希は二人の妹たちの髪を柔らかく撫でた。
(はうー)
幸せである。
「ごめんね。帰ってきたはいいけど、10時の飛行機に乗らないといけないんだ。顔出しついでに、朝ごはんだけ食べさせ『ます!』……あはは。よろしくお願いします」
言って、柔らかな動作で三人を剥がす。
微笑む美由希を見て、晶などはいつも思うのだ。
(カッコいいなあ…………)
もう四年近くも前になるのか。美由希は高校への進学とほぼ同時に、この日の本の国の守護者たる朝廷御領衛に入営し、以来、日々この国を守護し続けている。それも今では七席の上位衛士という、国有数の実力者であり、本当� ��意味でのエリートだ。
今年18歳になった晶が、中学までずっと短かった髪を伸ばし始めたのは――やや変形ではあるが、三つ編みという髪型も――美由希の影響だ。
「二人とも、背と髪、伸びた?」
「そです? 二週間そこそこでそんな変わらへんと思うけど」
「あはは、うん。昨日、二人が中学生だったころの夢見てさ」
「なんか恥ずかしいから、そういう夢は見ないように」
「晶、無茶言ってる」
ね? と微笑みかける美由希に、流星丸はえへへと笑った。
「レン、当番代われ。いーから代われ」
「タぁコ。指くわえて見とったらええねん」
「はいはい、なのはほど仲裁上手くないから、喧嘩はやめてね」
そつなく二人を止めながら、晶の耳に口を寄せて、
(移動先が恭ち� ��んの出張先とかぶるから、二人分のお弁当よろしく)
「やったあ! 了解っ!」
「あ、なんやなんや美由希ちゃん、なんぞずっこいことせんかった?」
「してないしてない。ねー?」
「はいです。してませんよー」
いいこいいこ、と流星丸の髪を梳きながら、
「一応聞くけど、かーさんとフィアッセ――――」
「あー! そうだこうしちゃいられない!」
と、駆け出した晶を、
「はいストップ」
「むぎゅ」
襟首をつかんで止める。
「クリスマスが近いこの時期、朝食に戻る暇もないぐらいに、あの二人が忙しいのは解ってるよ。翠屋には行きがけに寄ってくから、呼ばなくていーの」
「あ、ほんなら早いほうがえーですね、早速作りますよって!」
「いつもだけ� ��、留守の間、高町家をよろしくね。心配はしてないけど」
「はい。任しとってください」
「バッチリ護りますから!」
留守番が頼もしいといいよねー、と、独り言のように呟いて、美由希は任務に戻った。
「…………気合入れんとな」
「おう」
ごつんと拳をぶつけ合い、美由希が見えなくなるまで、二人は彼女を見送った。
「よしと。行くか」
「ん」
晶が施錠するのを見届けて、レンは雪の道を歩き出す。
「とりあえず止んだか。上着、もっと薄いのでよかったかもな」
「あー。まあウチらの能力やと寒ぅないけど、見てるほうが寒いとかって評判悪いからな。ええんちゃうか」
"トップ10髪型"
それもそうか、と晶は肩をすくめる。
「大体、ウチらこれ以外に上着て持ってへんやろ」
「まーな」
今自分たちが着ている革ジャンもロングコートも、冬でも薄着で外出する自分たちを見かねて、恭也が誕生日(春なのに)にくれたものだ。その年は冬が待ち遠しかった。
…………結局のところ、二人が冬に着る上着は、それ以来ずっとこれだ。理由は押して知るべし。
「…………覚えてるか?」
「…………忘れるわけあらへん」
二人に成長期が来て、背が伸びて…………当然、革ジャンもロングコートも小さくなって…………でも、別のに変える気にはなれるわけなくて。
「二人して師匠、困らせたっけな」
「でも、ちょい 嬉しそうやったんは自惚れやないと信じたいわ」
そして――――その冬のある朝。
「サイズ、でかくなってるんだもんな」
「二年前に買った服の、全く同じ別サイズなんて、簡単に見つかるもんでもないんやろうに」
そのとき、二人は本気で嬉し泣きして…………笑顔で嘆息した。
このひとには、一生頭が上がらないな、と。
「…………諦めらんないよなあ」
「敵、めっちゃ強いねんけどな。…………その敵にしたって、大好きやし」
何を諦められなくて、誰が強い敵なのかなんて、今更言うまでもなく。
「…………ま、もう片方ん敵はどってことないんがせめてもの救いやな」
「言ってやがれ。後で泣け」
とはいつつも、互いに油断なんてしてはいなかった。
殺され� ��うとも言うわけがないが…………レンと晶は、互いが十分に強敵であると思いあっていた。
レンのロングストレートの豊かな髪に、高い身長、メリハリのきいた身体は同級生たちのやっかみを買う。脚線美には自信アリやで。
晶も負けていない。三つ編みにした髪は健康的な艶を持ち、レンを頭一つ超える身長、スレンダーな躍動感溢れる肢体が美しい。別に胸だって小さかねーぞ。
「へっ」
「ふん」
ともあれ。
未来はだれにも解らない。
それほど遠くはない未来、恭也が誰を選ぶのか。美由希かもしれないし、忍かもしれない。
でも、自分たちかもしれないのだ。
「――――磨くだけだ」
「――――その日のために」
二人は、美しかった。
「おはよう」
『おは� �うございます、晶先輩!』
このクソ寒いのに空手着姿の男たちが、ランニング中の足を止めて一斉に頭を下げる。レンは恥ずかしいので晶から離れた。毎日思うが、体育会系のノリは理解できない。
「あ、レンちゃんおはよー。晶先輩も」
「おー、かよっちか……おはよ」
「加代ちゃんか。おはよう」
じゃ、ちょっと部に顔出してくから、と晶は二人から離れて歩き出す。
「やっぱりカッコいいなあ……」
「かよっち、まだ眼科行ってへんのか」
「ふふ。はいはい」
リトルフォールズニュージャージー州ニュージャージー州の化粧品
レンにしてみれば狂っているとしか思えないが(実は意識の深いところで当然だと思っているが)、晶は男女を問わず全校生徒に人気がある。
中学時代から片鱗は見せていたが、晶は容姿気性能力と三拍子そろった姉御肌の完璧超人だ。当然に、栄光の推薦組でもあり、高校三年のこの時期も暢気なものだ(といっても、受験も終わり際であるが)。それでいて誰からも嫌味が飛んでこないのだから大したものである。
既に引退した空手部にも積極的に顔を出し、後輩の指導に当たっている。
その際、実に見事に現部長の顔を立て、でしゃばらないようにしているが、その部長からして晶の熱烈なファン� �ので、普通に無駄である。
「ああくそ、今ので単語が抜けた」
ちなみに今日の午後、レンは英語の小テストがある。
「納得いかへんなあ……なんであのおさるが成績ええねん…………」
別にレンも成績は悪くないし、むしろいいほうだ。が、推薦を貰う気なら大分ギリでもある。というより、全教科100点とか、別の意味で小学生みたいな成績を叩き出した伝説を持つ晶と張り合うのが間違っている。
「くそー。ええなあ、"蓄積"の能力……」
――――晶には才能がある。学んで、鍛えて、蓄え積み上げる才能が。
晶は式神使いであり、微妙に"概念能力"のレアタレントだ。晶がこの季節に寒がらないのもこの能力に由来する。
が、成績が能力の産物でも、どうせ本人の才能である 。ケチのつけようもない。
「あー。かよっち」
「ストップ。私に質問しても無駄無駄。むしろ教えて?」
「…………友達甲斐があるなあ」
泣きそう。
泣きそうだが仕方ない。
「…………晶ぁー。この文法なんやけど」
「いやなレン。お前が負けて悔しい分野は、俺、勝ってもあんま嬉しくないんだよ。だからそんな吐血しそーな顔するなよ」
しかも窓の外から。
大達人階位の神術士には大したことはない。二階の自分の教室の窓から、真上の教室の窓に移動するぐらい。
「ほら早く入れ。下からパンツ見られた記憶を忘れたか」
昼休みなので惨劇再びの可能性が高い。
「思い出させんなや。……お邪魔します」
晶以外の上級生には礼儀正しいレン。
晶のクラス メイトもなれたもので、茶だの菓子だのを出している。それもどうか。
「で、どれだよ」
「こことここ」
「お、回文になったな。…………ああ、これは前後の文で単語の意味がスッ飛ぶから…………」
――――そうして始まる。君影小夜子の伝説が。
「…………」
風芽丘の三階校舎の窓際で、晶とレンが話しているのを、君影小夜子はじっと見詰めている。
「……怖いな」
ぽつりと呟く。
自分より三つ、四つも下の彼女たち。それでも、小夜子と同じ位階の強度と位階、戦闘者としては比べ物にもならないだろう。
君影小夜子は、凡百の女だ。
弁が立つわけでもなく、頭の回転が速いわけでもなく、容姿が美しいわけでもない。友達も恋人も居たためしがないし、なにかに天分の才を示したこともないし、出会った理不尽には身を縮めて脅えるだけだった。
唯一つ――――小夜子に許された「特別」は、大達人の階位に至る神術士であること。
だが……それとて、才能の結果ではないと、小夜子は思う。
これは文字通りの蜘蛛の糸。他よりはマシであっても、それが太いわけではない。すがり付けば当然にしっぺ返しを受ける。
小夜子はチビだ。いつも頭痛がする。あまり多く食べられないし、季節の変わり目には決まって風邪を引く。髪にも肌にも艶がなく、慢性 的に不健康だった。
どれも全て――――なけなしの才能に過分な労力を傾けた結果だ。
「…………怖いな」
小夜子は、「特別」になりたかった。
「…………私、戦ったことなんか一度もないし、攻性の術式なんてほとんど持ってないし、チビだし、格闘技の心得も、それに代わる武器もないし……」
その想いを、いつも小夜子自身の非才が裏切った。
「…………根暗だし、友達居ないし、人の目を見て離せないし、グズだしドジだし、臆病だし……」
だが。
いや。
だからこそ。
「炎を。――――炎を熾そう。私を暖めてくれる炎を。私の敵を燃やしてくれる炎を。私から離れない炎を。私の道先を照らしてくれる炎を」
黒い炎のような瞳を、談笑する晶とレンに向けて 。
「勝ってやる。絶対勝ってやる。ただの根暗女で終わるもんか。踏み潰されたままでいるもんか。この世界が私に優しくなくても、メソメソ泣いて諦めたままでいるもんか。チビでグズな私が、幸せになっちゃいけない道理なんてあるもんか…………!!」
君影小夜子は産声を上げる。
「例え誰が赦さなくたって、私は幸せを手に入れてやる――――!!」
――――いつかの未来。くるかもしれない、いつかの未来で。月の子供の七番と、奇妙な名で呼ばれるかもしれない神術士の、最初の戦い。
――――君影小夜子の伝説は、ある冬の日に始まった。
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